日本人、いえ世界中どこでも、子どもの無事の誕生を祈り、
喜ばないところはおそらくないでしょう。それほど子どもは、
万国共通の喜びなのです。
日本で子どものための儀式といえば、まず七五三を思い出します。
先日、この七五三のために、素敵な三つ身を作り、納めさせて
いただきました。それはおばあさまの羽織をお孫さんの三つ身に
仕立て直し、背守りを付けるという趣向でした。
後日、ご家族で参拝された際のお写真を拝見し、スタッフ一同大喜び
いたしました。
きものによく用いられる文様に吉祥文様というものがあります。これは
おめでたいとされている一連の文様ですが、そのなかに、たとえば
「麻の葉文」や「唐草文」など、子どもや孫の健康と反映を祈る文様が
いくつかあります。それらを見ていると、実に子どもの健やかな成長と繁栄
というイメージをよくとらえた文様で、昔の人の美意識と叡智に頭が下がる
思いになります。
「子宝」という言葉も、そうした表現のひとつです。言葉自体もほほえましい
感じがして好きなのですが、この言葉のもつ、まさに「言い得て妙」な感じ、
つまり真理が、私ごとですがこのごろ特に実感されています。
わが家には4人の子どもがいますが、その一人ひとりが宝であるという
ことを、授かり育てていく中で、日々感じるのです。この感じ、つまり「子宝」と
いう実感は、子どもを育てさせてもらわなければ決して味わえなかっただろう
と思います。
よく言われることですが、子どもを育てることで自分自身が育ち、気づき、
一人前の人になっていくということが、よくわかります。
最近、子どもにまつわる悲しい事件がたくさん起こっています。被害に
遭われた子どもさんたちは本当に気の毒で、その親御さんの心情は察して
余りある酷さです。
しかし思うに、その子どもさんや親御さんは、身をもって私たちに教えて
くださっているのではないでしょうか。
「子宝」の本当の意味を、社会も大人も、もう一度考え直せよ、と。
白銀も黄金も玉もなにせむに まされる宝 子にしかめやも 『万葉集』
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