家や社屋を建てる前に、その敷地に祭場を設け、工事の平安を祈る儀式が地鎮祭です。
先般、その地鎮祭を執り行うことがあり、神主さんを迎えたときのお話です。
その神主さんはいささか変わった風体の方でした。なぜかご縁ができて、台風の中、
高知からはるばる私の地鎮祭に来てくれたのです。どう見ても霊験あらたかという感じの
人ではないのですが、私は彼にとても引かれるものを感じました。
私の直感どおり、その神主さんは素晴らしい言葉を私に与えてくれました。
それは、「家を立ち上げるときにはお祭りはさほど必要ではなく、家を壊すときにこそ
感謝の気持ちを表す儀式をすることが、実はとても大事なのだ」というものでした。
私ははっとしました。長年、便利に快適に使わせていただいた家に感謝し、それを
形に表すことがとても大事だということは、考えてみれば当たり前のことですが、
彼に指摘されるまでまったく気づかなかったことでした。
神主さんは、そのときの感謝の「形」とは、自分たちの手で床の間に祭壇を作り、
家族みんなでお祈りすることだとも教えてくれました。そのシーンを想像したとき、
それは実に清々しく美しい儀式であるということが分かりました。
「長い間、ありがとうございました」と、家族がそれぞれ感謝の念を抱き、
滅びゆく家とともにある思い出を大切に胸にしまうひとときです。
そしてその深く静かな回顧のひとときは、やがて始まる新しい家での暮らしに対する
期待と喜びを倍加させてくれることでしょう。
物にも心が宿っています。壊す家への鎮魂と感謝の儀式は、物に宿る心を感じ、
愛おしむことができる豊かな人を育むきっかけになることでしょう。
神主さんは台風の過ぎたあとの空のもと、1時間半にもわたる祝詞をあげて、
また飄々と高知の山奥へと帰っていかれました。もう一度、あの神主さんに
会いたいと思う私です。
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