対談この人と
話そう...
| 2026年6月発行(vol.109) |
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たかす文庫「 この人と話そう… 」
型染め・染色作家 津田 千枝子 さん 〈 前 編 〉 企画展案内 令和8年 10月7日(水)〜11日(日) |
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【 略 歴 】 1974年 東京藝術大学美術学部絵画科「日本画専攻」卒業、在学中より 型染めを学ぶ 1975年 初個展 1979年 ニューヨーク滞在(~1980年) 1981年 桐朋学園大学で美術史講師、 1987年より美術史家の伴侶とヨーロッパ美術を訪ね歩く(〜2003年まで毎年) 2005年より毎年インドの染め場に通う |
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津田千枝子さんのご実家である工房にて、学生時代から現在に至るまでのお話を伺いました。藝大ではとても楽しい学生時代を送り、同期には坂本龍一さんや漆芸家の室瀬和美さんがいらっしゃったそうです。(津田さんはなんとサッカー部のマネージャー!)また、過去から現在までの染色作品もたくさん見せていただくことができ、最高のひとときでした。
会話の中で津田さんがたびたび口にされる「ロマネスク」とは、もともと中世ヨーロッパの美術様式を指す用語で、絵画では教会の壁面を彩るフレスコ画や写本画として発達したものです。津田さんは学生の頃にロマネスク美術に出会い、その後ずっとロマネスクに魅せられているそうで、多岐にわたるお話を聞かせていただきました。今思い返せばああして打ち解けた雰囲気の中で会話を弾ませたことの「ロマネスク的な(津田さん曰く)」意義を、しみじみと感じています。美術史を学ぶと普段と違った視界が広がるようです。 10年くらい前からお手紙などお送りし、ご縁が繋がって高松で個展を開催できたのが3年前の春、桜の頃。その折にお伺いした時は、津田さんのお母様がお元気でいらっしゃいました。チャーミングなお人柄で、とても良くしていただいたことを覚えています。 そして今秋、紅葉の頃に、2度目となる津田さんの個展を企画しています。その折には母娘合作の帯も発表していただけるそうです。今から楽しみで仕方ありません。 皆様も、津田さんの作品に夢を馳せていただければ幸いです。 蓮井 将宏 拝 |
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自由な学生生活
蓮井:子供の頃から学生時代のお話を聞かせてください。
津田:小・中学校は電車で茗荷谷の教育大附属(※今の筑波大附属)に通ってました。でも中学の最後にちょっと肺疾患が見つかって。大学受験などであまり無理しなくても、大学も繋がっている、女子美の高校へ行ったらどうかと。でもその頃毎週日曜日に絵を描きに行っていた先生が、藝大で教えていらした方で、それだとあとで大学を選ぶ選択肢が狭まると両親に話して下さって、高校は自由な校風の桐朋学園に。なんとなくそれから大学は美術の方に進もうと思いました。ところがあの頃は大学紛争の時代で、武蔵美(※武蔵野美術大学)や多摩美(※多摩美術大学)は、ロックアウトとかして多摩美なんか入試がなかったし。(※1968年から69年にかけて全国的な大学紛争が起こり多くの美術大学でもストライキや校舎封鎖が発生)。藝大(※東京藝術大学)は普通に受験ができたので受けてみました。
蓮井:美術系の大学は倍率高いんですよね?入試に受かる子の基本的なラインっていうのはあるんですか?
津田:今とあの頃とは評価基準が変わってるんだと思いますが、あの頃はやっぱりある程度は技術的なことが求められて、でもただその通り描くだけじゃなくて光の感じとか、鉛筆デッサンなら鉛筆の使い方とか色、白いものを黒い鉛筆でどう描くか、なんていうことをね。私も結局一浪して絵画科日本画専攻というところに入ったんです。
蓮井:浪人時代というのは後から思えば尊いものですよね。
津田:藝大の私のクラスは20人で現役合格はそのうち2人だけでした。私も一浪したおかげで世界が広がったというか、…時代がまたね、変な時代で。割と若者が元気で(笑)…これは高3の時なんだけど、お茶の水美術学院っていう予備校の夜間部に通っていたのね、そのあたりは大学が集まってる場所だったから、ちょうど機動隊と学生が対峙しているところをコソコソ通り抜けないといけなかったり(笑)。あの頃、その辺はカルチェラタンみたいに石畳だったんだけど、学生がその石畳を掘って投げるものだから一晩で舗装されちゃって!予備校の地下のデッサン室に機動隊が発射した催涙ガスが入ってきたり(笑)…そんな時代。平穏な時は地下鉄の駅の入り口に屋台のおでん屋さんが出てて、夜、帰りに友達とおでん食べたりして。高校や浪人時代、あれだけ好きなようにやれたというのは運の良いことだった…。
蓮井:ご主人様とは大学で知り合ったんですよね。
津田:そう、でも彼は、画家を目指すというのは一切考えてなかったようなのだけど。なぜか急に方向転換、それから藝大に。彼の高校からの友人に内藤六郎さん(※陶芸家)がいて、そのお父様が、当時藝大の教授でいらした内藤四郎先生(※彫金家・重要無形文化財「彫金」保持者)。それが内藤先生とのご縁なの。在学中は科も違ったし、数年後に定年なさって直接大学で習ったことはなかったのですけど、長男の五琅さん(※日本画家)とも親しかったから、お宅に遊びに行ったりして。結婚して浦和に住むようになり、先生のご自宅が近くだったで、いろいろお世話になりました。最初に染めをやり始めた頃も、内藤先生のところで型染めの大きな本を見せていただいて。先生は大変蔵書家でした。作品もお人柄も尊敬する方です。あの頃の藝大の先生はなかなかなんですよ。大学の研修旅行で古美術研究旅行というのがあるんだけど、私の時は引率の先生が平山先生(※平山郁夫:ひらやま・いくお 日本画)だったりして。他には吉田善彦先生(※よしだ・よしひこ 日本画)、稗田一穂先生(※ひえだ・かずほ 日本画)、名誉教授には安田靫彦(※やすだ・ゆきひこ 日本画)、前田青邨(※まえだ・せいそん 日本画)というお名前がありました。
蓮井:藝大の4年間で学んだことは?
津田:大学で教わったのは、日本画の描き方というよりも…、日本画を通した、世界の広がり。私は版画も好きだったので駒井哲郎先生(※こまい・てつろう 銅版画家)の銅版画の授業も選択していたのですけど、ある時駒井先生が「すごく良い本が出たからみんなで観ようよ」って持ってきてくれたのが『大系世界の美術・ロマネスク』って本。学研から出版された全20巻のシリーズで、これを見せて頂いて、こんな世界があるんだ!って思ったの。ちょうど私が入学した年に、カッパドキアの壁画の調査団で先生達がした模写が正木記念館で展示されていて(※東京芸術大学中世オリエント遺跡学術調査団。1966年、68年、70年の3次にわたりトルコ・カッパドキア地方で中世キリスト教洞窟修道院の壁画調査と模写を実施、平山郁夫氏らが出席)、それを見たら、壁画、つまりフレスコ画(※巌窟修道院の壁画は岩の表面に直接、または漆喰を塗って描かれていた)は日本画と同じなわけ。要するに油絵の具のように油で溶いてチューブに入っているものじゃなくて、土や鉱石から作られた土顔料、ラスコーの壁画なんかもそう、みんな土から。それはもう世界共通なの。おそらく日本画をやっていなかったらそういうことに気が付かなかったかもしれない。そして駒井先生がロマネスクの世界を見せて下さって、なんか私にぴったり、って思ったのです。
蓮井:それでロマネスクに目覚めたんですか。
津田:美術史の授業でもロマネスク美術も勉強して、とても好き、と思っていました。
ロマネスク的
蓮井:ロマネスクというのはいつくらいの時代ですか?
津田:だいたい9世紀から12世紀くらいまで、日本でいうと平安から鎌倉初期くらい。でも今、ロマネスクという言葉がすごくポピュラーになってしまって、逆にその世界観を狭めてしまっている気がして。ロマネスクというと、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステッラの巡礼路にある教会などが有名だし優れたものばかりだけど、私が思うロマネスク美術はそれこそ平安時代とかの日本美術とも繋がる、普遍的な雰囲気を持つもの。そもそもロマネスク自体が、フランク王国、神聖ローマ帝国と法王庁って、現在のヨーロッパの国々やその境界線が形成される以前の世界のものなの。
蓮井:じゃあ古代のローマ帝国が滅んだ後で、封建社会が発展するまではいかない時代で、色々なルールがきっちり決まってしまう前…、もっと民衆が元気で、大らかで、自由な感じなんですかね。多様性というか。
津田:そう。でも厳しいキリスト教の信仰の時代だし、蓮井さんもいらしたシトー会の修道院のように削ぎ落とされた禁欲的な美しさもある。だけど地方の教会は文字が読めない人達のために教会そのものが聖書の世界を表すようなもの。だからなんとなく、おおらかで素朴、彫刻など親しみやすく、その空間にいると心が洗われるような気持ちになります。
蓮井:社会もゆるやかそうですよね。
津田:そのゆるやかさって世界共通な感じがするの。結婚してNYにしばらくいた時、あちこち美術館を見たり、夫が美術史を教えることになったあと、30代でなぜか私も桐朋の音大で美術史の授業をするようになって、ヨーロッパのいろいろなところを訪ね歩いたんですけど、そのずっと後にアジアのラオスやミャンマーの古いお寺に行ってみると本当にロマネスク的なものがあるし、染めの素材の関係で国産野蚕学会というのに参加してインドのアッサムなどに行くと、そこの地方の博物館にあるものがまさしくインドローカルのロマネスク的世界。ロマネスクってただ言葉としてはローマ帝国が滅んだ後の西欧の美術や建築なんかに対する用語なんだけど、地域や年代がどうのじゃなくて、私が好きなのは〝ロマネスク的な世界〟。もちろん、ヨーロッパのロマネスク時代のものはとても魅力があって大好きなんだけど、同時代の日本もおんなじ。
蓮井:時代精神、のような。
津田:例えば紅型でもね、型染めを始めた頃、当時の民藝館に行くと、染織品が収められた引き出し式の棚があって古紅型がいくらでも見ていられたの。その古い時代の紅型のゆるやかさ、色の穏やかさが私は好きで、それがみんなある意味ロマネスク美術的な感じ。それこそ、こうやって蓮井さんとお話しできるのもその続きのよう。
2026年9月発行 vol.110 後編に続く 2026年6月発行の紙媒体の本誌対談において下記の訂正があります。 ロマネスクの時期に対しての発言箇所で誤りがありました。 誤 日本でいうと平安から室町初期くらい。 正 日本でいうと平安から鎌倉初期くらい。 ※この記事では訂正したものを掲載しております。 |
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