磁器?陶器?
染めの着物と織りの着物、それぞれの良さを焼き物に例えると、染めの着物が磁器に当り、
最初から完成された美しさを持つのに対し、織りの着物は陶器と同じように、
使い馴染むうちに風味が加わり、よりいっそう着やすい着物になっていきます。
紬など、織り上がりの硬さが取れ、しなやかに身に添うようになった着物の着やすさといったら!
織りの着物の価値は、使い込んでこそ増すもの、特に素材が良く技術のしっかりしたものは
なおのことです。日常の使用に耐えるからこそ「良質」なのですから。
だから、せっかくの良い紬の着物が傷んでしまうからおしまいしたまま、などということは、
本当は勿体ないことです。汚れたり八掛が擦り切れるのを着物が傷んだと思って
悲しむのではなく、新しく再生してあげる時期の合図だと考えてはいかがでしょうか。
洗い張りをし、仕立て直すことにより、また新しくそしてなおいっそう着やすい、価値のある
着物になっていきます。着物を美しく着る為に身につける機会を多く持つことは、
より着やすく美しい着物への成長に繋がるように思います。
なぜ、結城なのか
結城紬はその昔、新品を単衣に仕立てて寝巻きにし、裏に返してまた着馴染ませて、
それから仕立て直して表に着ていったといわれるほど、生地の堅牢度と着味の妙を誇る織物です。
「つくり手が時間をかけたものは、着手も時間をかけて着こなさなくてはすまない。」とは、
きもの研究家・山下悦子さんの著書〈『きもの歳時記』「結城に支えられて」(TBSブリタニカ)〉
の中の言葉。また、源氏物語絵巻を織物で現代に再現したことでも知られる西陣の
織元故山口伊太郎氏は2003年の着物雑誌のインタビューの中で(当時101歳)、ご自身が着ている
結城紬に触れ、「今から70年前、着物の値段は30円ほどでした。その時代に150円出した甲斐が
ありまして、この結城紬は今でも飽きることはないね。」との感想を残されています。
70年のおつきあい!
結城紬は、結城地方近辺の農家で養蚕された繭を真綿にし、引いた糸から織られます。
煮繭した後水でふやかした繭を、一つ一つ袋状に引き伸ばして袋真綿と呼ばれる状態に
するのは農家のおばあちゃん達の仕事。地道な手作業ですが、均一な、ふっくら真っ白の
真綿が作業小屋の天井に干されている様は壮観です。手馴れた作業により、繊維が
千切れることなく引き延ばされます。一反分の袋真綿を作るには約二千個の繭が必要です。
その袋真綿を「つくし」と呼ばれる木の棒にひっかけて糸を引き出すのも女性の仕事。
ふわふわの綿菓子のような見かけの真綿も、もとは一続きの、お蚕さんが吐き出した
長い長い繊維。この複雑に絡み合った状態の繊維を、指先で細くて均一な一本の糸に
まとめながら、引いていきます。このとき、糸に撚りをかけないようにして引くので、
繊維に含まれている空気を逃さず、暖かくて軽い、強靭な糸が出来上がるのです。
この真綿からの糸取りが結城紬たる所以の一つで、三代まで着られるという
強くてしなやかな生地の源となります。
糸取りには一反分で約三ヶ月から半年ほど。その後も絣の糸括りや染色の外、
さまざまな作業が加わり、ようやく機に掛けられます。
ほかに結城紬の特徴としては、ほかの紬の織物に比べ、縦糸が緯糸よりも太いこと。
縦糸の本数が多いことがあげられます。
これにより、打ち込みの緻密な、密度の高い、しっかりした生地になるのです。
現代では、着物の種類にかかわらず、本人が気軽に着たつもりでも、周りからは
「余所行き」になるといった場面も見聞きします。いざという時に美容院にいって着るもの
であって、日常に親しむものではないとすると、結城紬はなるほど高価で、縁遠いものでしょう。
しかし、山口翁の言のように、着物が日常着だった時代の人に支持される結城紬という織物には、
それだけの理由があるのです。一代限りで着つぶされるようなものではなく、
結城三代というように、洗張を繰り返しつつ、孫子の代まで着続けられる丈夫な着物です。
日本の優秀な織りの技術の中でも、特に上質な、織物なのです。
日本人として、世代を超えて生き方や想いを伝える縁となる一番身近なものが着物では
ないでしょうか。それを親しく身に纏うことで、先人が過ごした時間を、着物の柔らかさや
暖かさとともに感じ、愛でることができる、その体験が感謝となり、未来への素晴らしい素敵な
贈り物となるのだと信じています。
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