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たかすのきものめぐり② 与那国花織 長尾 幸子さん |
■高知から移り住んだ女性 与那国島は日本最西端、晴れた日には対岸に大きく台湾の島影が見える国境の島です。周囲は約28キロですから、バイクでくるりと走ると1時間くらいで一周できてしまいます。八重山諸島と呼ばれる沖縄の島々の中でも、ちょっと趣が違う、言うならば聖地を思わせるところです。 島の中にはコンビニも喫茶店も、もちろんゲームセンターなどもありません。島の中にあるもので一番俗っぽいものは、おそらく飲み物の自動販売機ではないかと思います。そんなところで、とても美しい織物を織っている一人の織り子さんを訪ねて、お話を聞きながら花織を深く知るのが、今回の旅の目的でした。 その織り子さんの名前は長尾幸子さんといいます。14年前から、若いときに何度か来たことのある与那国島に移り住んで花織を織り上げています。 高知でオペレーターをしていた長尾さんは織物のおの字も知らないままで島にやってきたのですが、花織の将来を心配していた島のおばあたちは若い長尾さんを大歓迎してくれて、経糸と緯糸の区別もつかなかった長尾さんに、それは親切に、それこそ手取り足取り技術を伝授してくれたそうです。 |
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■すべてを自分の手で創る与那国花織 それから14年、長尾さんはしっかりと与那国に根を下ろし、今や与那国の伝統織物組合の理事を務めるほど人望のある織り子さんになりました。やさしい笑顔を絶やさない一方で、花織のことになるといい加減な受け答えを自分にも人にも許さない長尾さん。言葉一つ一つを大切にし語ろうとする真剣で真摯な姿勢に、彼女が花織と島に注ぐつきせぬ愛情を感じました。 長尾さんに「与那国の花織の魅力はなんですか?」と聞くと、「デザインを考え、染料になる草木を採ってきて糸を染め、整経し、織り上げるところまで、すべての工程を自分一人でやるところです」という答えが返ってきました。つまり与那国の花織は分業せずに、すべてを一人でやるのですが、長尾さんはそれがこの仕事に携わる最大の喜びだというのです。 この後、宿に帰ってから聞いた話ですが、与那国では結婚式もお葬式もすべて島民の手で執り行われて、そのような業者がいないのです。「外注」や「分業」は効率的ではありますが、それによって失う仕事の喜びや、知ることのできない醍醐味もたくさんあって、果たしてそれがすべて良い仕事に結びつくのだろうかと、私は以前から思っていました。そんなときに聞いた長尾さんの「何もかも自分でできることが喜びであり魅力です」という言葉はとてもしっくりと胸に来て、「なるべく創るところからきものに携わっていきたい。誰の手によってどんなふうに作られているかを分かって商いをしたい」と思っている私に勇気と安心をくれたのでした。 |
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■清らかな仕事から生まれる布 与那国では、伝統の産業や芸能の後継者は、学校教育からも生まれてきます。中学校で琉球ならではの芸能や産業を学ぶことが授業に取り入れられているのです。こうして「心豊かに仕事をし、ふるさとを愛し誇る」という人心が、島ぐるみで大事に育てられているのです。私が与那国花織に感じるえもいわれぬ清らかさや愛らしさは、こうしたところからも生まれ出てくるものなのではないかと思いました。 そんなお話を聞くうちにすっかり幸せになった私は、長尾さんに「こんな花織をつくってくれませんか」と、あるデザインを提案してみました。最初、「そんなデザイン、見たことない」と躊躇していた長尾さんですが、最後には「ええ、ぜひやってみましょう」と快く引き受けてくれて、来年には最初のオリジナル作品ができあがってくる予定です。私には「絶対に素晴らしいものになる」という自信があるのですが、長尾さんはなんだか不安でうまくできあがるかどうかまだ半信半疑だそうです。 その判断は、誰よりもお客様にしていただくのが一番でしょう。来年の今頃には、生まれたての清らかな布を見においでていただけるよう、これから長尾さんと生みの苦しみと楽しみをともにしたいと思っています。 |
vol.25(2005年6月発行)より |
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