対談この人と
話そう...
2007年6月発行(vol.33) |
(むぐるま せいじ) 1968年 香川県生まれ 1992年 京都工芸繊維大学住環境学科卒業 1995年 日建設計(東京) 1999年 藤岡建築研究室(奈良) 2000年 六車誠二建築設計事務所設立 高須ビル4階改装(’04)、1階店舗改装、 杜(’06)の設計を手がける。 |
たかす文庫「この人と話そう…」
建築家 六車 誠二さん |
||||
聞き手 蓮井将宏(や和らぎたかす店主) |
■木の香り
店主:最近、ある人と漆の話をしたんですよ。香川県の漆が活発だった頃は、漆は生活の中にあった、だから前衛的なものを使える人々がいた。でも今は漆が生活から離れ、使い手もそういうレベルから離れてしまった、と。建築も漆器も人によって「使われる」という意味においては同じですよね。最近、東京に美術館や複合ビルのような巨大建造物がどんどん造られていますが。誠二さんにとっての「建築」とはどんなものですか?
六車:僕にとっての「建築」は…、最初はたぶんカタチではなくて。大工だった父親の、木の匂い、それが、僕にとっての「建築」という世界の入り口の、最初にあったものだという気がしています。子供の頃、父が外から帰ってくると独特の匂いがしてました、今思うとそれが杉とか檜の香りだったんです。
店主:日常の中から入ってきたわけですね、生活している空気の中に木の香りがあったわけだ。
六車:そうですね、でも実は、最初から「木造をやりたい」とは思ってはなかったんですよ。東京に憧れて、東京の建築事務所に入ったんですが、ある時、急に後ろ髪をひかれるような感じがしてきたんです。自分がやっていた事に違和感を覚えたんですね。それが、東京卒業のきっかけでした。
店主:その違和感というのは例えばどんなもだったんですか?
六車:「建築家」というのはもともとは、色んな職人さんをコーディネイトする立場だったはずが、いつの間にか いち デザイナーになってしまっていると感じたんです。その一つの原因は、素材の話になるんですけど。僕は、コンクリートも鉄も木も同等にそれぞれ素材の一つだと思っていますが、特に木という素材はそれに関わっている人が多い。でも他の素材はそれほどでもないんです。だから今の僕のように土とか木を扱っていると、色んな人との出会いがあるので、その出会いの中で、建築が生まれていくような気がしています。
店主:建築家の質が変わってきているのかもしれませんね。
|
1階。カクテルバーではありません、ここで着物や
小物をご覧いただけます。 |
■時間の価値
店主:今、建築業界でも色んな問題が出てきていますね。大量生産・大量消費社会の影響か「早く建てたい」、または「早く売上をあげたい」という為に、新建材を使い、工期を短くする。そこに色々な無理が生じてきている。時間と価値の感覚が、昔と今では変わってきた気がしますが、そのあたりはどう感じていますか?
六車:そうですね、例えば、木材というのは、祖父が植え父が育てて孫の代で山から切り出してくる、という風に、三世代およそ60年から100年という時間がかかっています。だから建築家がこの木が欲しいという時、その木は実は100年位の時間をかけて大事に育てられてきたものなので、それを「使わせてもらう」という感覚になるんです。それに比べ新建材は短時間で作れますから、そういう時間の感覚は、現代建築をやっていたら抜け落ちやすい部分じゃないでしょうか。
店主:早く欲しいから、お金で解決できるものは解決してしまおう、という風潮は、建築業界だけでなく、全ての業界に共通していますね。
六車:木とか石とか自然素材というのは、高いものだと思われていますが、材料費は案外安いものなんですよ。土壁って、材料は土なんでただみたいなもの(笑)。だけどそのかわり、人件費と手間がかかるんです。でも世界各地の古い建物を見に行くと、材料はそこらに転がっている石や木なんですが、それを建てた当時の人々の想いやエネルギーというものがすごいんですよね。日本の古い建築もとても手間がかかっているものです。そのエネルギーがあるから、長い年月を耐えて、今も残っているんだろうなと思います。それに比べ、新建材等を使った現代建築というのは、素材の扱い方が即物的で、エネルギーが弱いような…。僕は、モノに人の想いをかけあわせて初めて建築になるんじゃないかと思っているんですが、そういうところも、先ほどの「違和感」のひとつですね。
店主:それは僕が扱っている着物でもそうですね。心が入っているかいないかということが、感じられます。作品に出てしまうんですよ。
|
▲左より
六車俊介さん(弟さん)、六車誠二さん、店主 |
■良い建築を創る
店主:ではそういったことを踏まえた上で、これから六車さんはどういう仕事をしていきたいと考えていますか?
六車:僕が独立して設計事務所をはじめようとした時、色んな不安を父親に相談するとこう言われました。「世の中には良い建築を作れる人、それから良い建築を求めている人がいる。そして、良い建築を求めている人の数のほうがはるかに多い。だから、良い建築を作ろうということだけ考えれば、一生仕事をしていける。それ以外のことは考えるな」と。
店主:名言ですね。
六車:最初に蓮井さんもおっしゃいましたが、建築とは結局は人が使うものなので、主人公は「人」なんです。世の中の人がどういう建築を求めているのか、そしてこちらがどういうものを提供していけるのかということを突き詰めて、基本の関係を築いていきたいので、まずはその為のチームワーク、人づくりをしていきたいと思っています。
|
たかすの杜 |
■杜の中の卵
店主:最後に杜のことを少し聞かせてもらえますか。
六車:僕は蓮井さんから一番最初に、コインパーキングだった場所に杜を作りたいという話を聞いたとき、「え!?」と驚いたんですよ(笑)だけど、話を聞いている間に、その杜からなにかを生み出したいんだろうなというのを感じたんです。それで、杜の中に楕円形のデッキを作ったんですよ。あれは実は「卵」なんです。植物というのは生きているものなので、あれで完成ということではなくて、月日を経て徐々に木が生い茂ってきたときに、卵型の空間ができあがればいいな、と。そしていずれそれがぱかっと割れて、そこから何か産まれればいいな、と。僕の知り合いの内でも今新町になにか不思議な場所がある、といってるのをよく聞くので(笑)やっぱりなにか発信されているんでしょうね。
店主:卵といえば、殻を親鳥と雛が両方からつつくときに、殻が破れるそうなんですよ。それを仏教用語で「啐啄」というんですけどね、こちらからつつくときと、向こうからつつくときが一緒になる時があって、その瞬間に殻が割れるんです。だから、その時というのは待たないといけないわけだけれども、まずは自分から行動を起こし、なにかを発信しないといけないんですよ。
|
啐= 鶏の卵が孵る時、殻の中で雛がつつく音 啄= 母鶏が殻をかみ破ること と、あります。 |
六車さんとのお話で、杜の中の楕円のデッキのことが話題になりました。成長していく木々に囲まれて、デッキが卵の様になり、そこに何かが生まれることを念じて…と。それはこの言葉かと思い、文章にしてみました。鶏を自分とし、母鶏を大いなる生命とした場合、いつも自分からシグナルを送り続ける事が一番大切であり、第一歩かと想います。
「ひたむきに生きる」 今、死語の様に聞こえるかもしれませんが、一番胸を打つ言魂です。六車さん達と一緒に仕事をさせて頂くと、いつもこの言葉を思い出します。何か一つの事を黙々と探求しながら、事を成してゆく彼等の姿に清々しさを感じ、また、愛着を憶えます。人と人とは永い間、信頼関係の基に仕事をしてきたはずのに、ここ数十年、虚の部分で惑わされ多くのものを失った様です。「時」のもつ意味が薄れる現代ですが、時間が見える人でありたいと思います。またそうした空間や場所を創り、皆様と対話したいと切に思います。百年後の世界を考えたことがありますか?毎日、杜の草木を見ていると、「今を力の限り生きる事が百年後を輝かしいものにするのですよ」と教えられます。自然は決して生きる事において手を抜きません。新緑の葉は生命の尊さを、強さを現しているだけでなく、私達人間に「元気を出せよ」とエールを送ってくれていると思えるのです。卵の中の雛のように、私達が行動によって生きる証を示し続けた時、初めて何かの機縁にて大きな幸福が訪れるのかもしれませんね。杜の元気を吸いに来て下さい。 |
←back・next→ |