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対談この人と
話そう...

2007年9月発行(vol.34)

たかす文庫 「この人と話そう…」
木版画家 立原 位貫さん

聞き手・蓮井 将宏(や和らぎ たかす 店主)

         

( たちはら いぬき )

1951年名古屋市昭和区生まれ。1976年より浮世絵版画の制作、
研究を開始。以後、江戸時代の浮世絵版画の復元や創作版画の
制作の他、デン・マテリアル㈱との浮世絵版画の色材分析につい
ての共同研究や、郡司正勝氏(早大名誉教授・近世演劇)の古稀
記念出版「かぶき夢幻」の表紙制作、夢枕獏著作の小説「沙門空
海唐の国にて鬼と宴す」(徳間書店刊)の表紙絵制作などに携わ
る。2006年、名前を立原位貫と改名。



■やりたいことをやる


店主:今日は、10月13日からの木版画の会でお世話になる立原位貫さんの、京都のご自宅に
   お邪魔しています。早速ですが、今、どんなことを目指していますか?
立原:僕は江戸時代の浮世絵の復元という作業を二十数年やってきて、ここ五年くらいは
   オリジナルの仕事を中心にしているんですが、創作していくうちに、
   やりたいことがどんどん変わっていくんですよ(笑)。
   復元の仕事には、オリジナリティは不要ですよね。逆にそれを消そうとしている。
   消せませんけど。で、創作のほうも、オリジナリティを出そうという意識をもって
   やり始めたわけではないんですが、出来上がった作品を客観的に見ると、やっぱり
   自然に、自分というものが出てるんですよ。だから僕は、自分の仕事に対して、
   作家としてのオリジナリティを出そうというのではなくて、自分がやってみたい仕事、
   その仕事をこうしてやろうという気持ち、意欲みたいなものを持って臨もうと
   思っているんです。そうすると、やりたいことがどんどん膨らんでいくんですよ。
店主:それは生理的に正しい方向ですよね、無理がなくて。やりたいことが、自ら湧き出て
   きているんですよね、与えられるのではなくて。自分がやりたいようにやっているから、
   自分が生きている。作品が生きている。それが立原さんの作品にはとてもよく表われている
   気がします。

■日常を極めること

立原:僕は作家として仕事をする為には、ちゃんとした「生活をする」という事が基本だと
   思っています。それは漠然とした要素ですけど、そういうものをないがしろにすると、
   作品自体が希薄になっていく気がするんですよ。自分が一日一日と繰り返していく
   生活の中で、何を見て、何をして、どういう風にもの事を考えているか、そういう
   ことが結果として作品に繋がっていけばいいのであって、大きなテーマを掲げて
   云々ということはしなくてもいいんじゃないかと。でも他の人にはそれがずいぶん
   野放図に生きているように見えるらしいです(笑)。
店主:いや僕はそうは思いませんよ(笑)。
立原:僕はね、こういう仕事では、作品にどれだけ実感があるか、ということが大切だと
   思うんですよ。理屈じゃないんですよ、作品が全て。でも作品に何かを物語らせようと
   思っても、そこに実感がこもってないと、何も言葉を発しないんですよ。
   …その代わり、作品がそういうものを反映してこなくなると、僕のような人間は全く
   存在価値がない、そう思っています。
店主:今は、マスメディアやインターネットが進化して、情報伝達がどんどん加速していってる
   時代じゃないですか、でも情報の質、人間の中身ということになると、だんだん希薄に
   なっているような感じがしますね。
立原:ええ、こういう時代だからこそ、物事をフラットな状態に戻す努力が重要だと思います。
   少なくとも本来はこうでしょ、というね。まず自分の身の置き所をフラットな状態に
   持っていかないと、何が本当で何が嘘なのかが見えてこないですよ。
店主:朝起きてちゃんと挨拶できるとか、掃除するとか、そういう日常の生活を極める事が
   大切ですよね。今日、こうしてお邪魔させてもらってますけど、ちゃんと整理整頓されて
   ますよね(笑)、…日常がしっかりしている人、作家さんを、作品を通じて多くの方に
   紹介したい、というのが僕の想いなんです。



■本当のものがわかる人
「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」(夢枕獏著)の表紙絵となった作品

店主:僕が尊敬する方で、色々なところで公演をされている人なんですが、ある時こうおっしゃった
   んですよ、「千人に一人がわかってくれたらいい」とね。確かに、何かを伝えるという行為は
   そういうものかもしれません。
立原:物事の本意を正確に理解するというのは、なかなか難しいことなんですよ。
   復元の仕事をしてしばらくした頃、ふと思ったんです、今の環境ではこれ以上伸びないだろう、
   と。その頃は僕を含め、周囲はまだ浮世絵に関して素人ばかりでしたからね。これを打開する
   には、浮世絵というものを本当に理解できる人、冷静な目で僕を見て評価ができる人、そういう
   人に僕の仕事を見せ、認めてもらえるようにならないといけない、と思いました。するとね、
   偶然ですけど色々な出会いがあって、東京の浮世絵を研究している人とか有名なコレクターと
   知り合うことになったんです。
店主:例えば?
立原:鈴木重三先生とか浦上敏郎先生、それからもうお亡くなりになられましたが、
   早稲田の郡司正勝先生、この三人の方から受けた恩というのは、たぶん、これから一生ない
   だろうと思うようなものです。
店主:それは立原さんが意識を変えたから、そういう人たちと出会ったんでしょうね。
立原:そうですね。

店主:偶然といっても、向こうからきたわけじゃなくて…
立原:もちろんもちろん。
店主:だからやっぱり、自分というものの舵取りは
   自分であって…
立原:なにかを目指してそこに行くと、そういう人が
   いるものですね、必ず。そう思うと、本当のもの
   が分かるという人が一人や二人しかいないという
   現実があってもね、そういう人達を見据えて
   やるってことが重要だと思います。
店主:今日は楽しい時間をありがとうございました。
   ここは小鳥のさえずりが聞こえる自然豊かな場所で、
   本当に落ち着けました。
   また秋の会を楽しみにしております。




「日常の風景」

 立原さんとの対話には日常(フラットな状態)という言葉が良く出てきます。
「作品の中にその人の生き方、日常が観えます」と。考えてみれば、いかに日常を
送るかが人生において一番大切で、一番尊い事ですね。
 人はいつも人生という作品を、ひとりひとり、創作しているのです。毎日、色の違う
日々を送って、最後にその人なりの美しい作品になるのでしょう。朝起きて顔を洗い、
あいさつを交わしてそうじをして、日常をいかにていねいに生きるか、そこから全てが
生まれますね。
日本の文化に「和」という言葉が見えかくれしますが、最近、この「和」という言葉の
響きが少し違って使われているかなと思い出しました。
 自分の中にしっかり「和=調和」が出来ている人は他の人を認め、生かしあうことが
上手です。自己がしっかりしている故、公私の区別ができるのです。和の人は今を、
ただ今を生きています。いつも大切に自分に正直に、それが人をして感動させるもの
かもしれません。芸術の秋、色々なものからその根底になるその人の日常の風景を
感じる事も楽しいですね。
 京で見た伊藤若冲の芭蕉の羽の屏風絵は、確かに風に吹かれ、たおやかに揺らいでいる
様に観えました。彼が自分の仕事(八百屋)を弟に任せ、絵の世界に入ったことは
有名ですが、日々楽しく厳しく自分と自然の対話をしていたのだなあ、とふと絵の
前で足が止まった事を思い出しました。
 描きたくて描きたくて描いた絵は、なぜか心を打つものです。どんな木も花をつけます。
(最近まで恥ずかしいのですが知りませんでした。楠の花はかわいいです)花をつける
から種ができます。自然の中で人は生かされています。この真理に皆様は何を想いますか?
この続きをまたお話できれば幸いです。

                                     店主



 

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