「心の中にあるもの」
蓮井:雑誌(『住む』no.20)に掲載されていた赤木明登さん(塗師)
とのやりとりの中で、望月さんが、「無地」的なものを好む
昨今の風潮に触れ、そういうものとは反対の、小皿の様に
小さなものにも絵を描きつけずにはいられなかった愛すべき
手技、心の有様をお話されていましたが、人間って、無性に
絵が描きたいというか、やむを得ない欲求みたいなものが
あるんでしょうね。そういう欲求に突き動かされて数々の
芸術が生み出されてきたと思うんですけど、じゃあ、
そもそも、「美しい」と感じられるのはどんなものなのか。
近頃「美しい国」とか「美しいもの」という言葉をよく耳に
しますが、望月さんにとっての「美しいもの」というのは
どんなものですか?
望月:一言で言うのは難しいんですが。なんというか、かたまり…
血のかたまりのような、僕の中に「在る」ものがあるんですよ。
体の中に、心の中に。それが形を持って出たがっているんです。
そして僕はそれを吐き出したくてたまらない。
蓮井:心の中に…
望月:ええ、ここに(胸に)かたまりが。それが、色々なラインを
持って在るんですよ。それを出したくてしょうがないです。
もっともそれは容易いことではないけれど、方法としては
手を動かすしかないんですよね。
ですから、手と心と一緒になって、それがどんな形をして
いるか確かめようとしている、という感じでしょうか。
だから、心の中にある、そのかたまりが僕にとっての
「美しいもの」なんですよ。
世間で言われる快いもの、癒されるもの、というのは、
すでに誰かの手によって世に表されたものなので、そういう
意味ではあまり興味がないんです。
蓮井:なるほど。そういうものですか。
…でも本来、そういうものだったんでしょうね?
望月:ええ、絶対そうだと思います。
蓮井:先史時代の壁画として有名なラスコーの洞窟壁画なんかも。
自分が心に思い描いたものを、描きたくて、描きたいから、
描いた…。
望月:だからこそ、あそこまで生き生きとしたものが描けたんだと
思いますよ。
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