対談この人と
話そう...
2010年6月発行(vol.45) |
たかす文庫 「この人と話そう…」 二代目 久呂田 明功 さん (くろだ みょうこう) 染色家。東京で、父である初代久呂田明功が 遺した工房と作風を受け継ぎながら、着物や 帯の制作を続けられています。 |
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聞き手・蓮井 将宏(や和らぎ たかす 店主) | ||
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■ 職人として・初代久呂田明功
蓮井:久呂田さんのお父様が、着物作家として有名な浦野理一(うらのりいち)さんとお仕事されていた初代の久呂田明功(はるたか)さん(明治四十年生まれ)。お母様のご実家も染色をされていたそうですね。
久呂田:そうです、あの、名古屋のほうで。絞りの仕事をしてました。それがある時東京に出てきて、絞りの中に友禅を入れることをやって、で、辻が花になったって聞いてます。
蓮井:浦野さんの着物というのもやっぱり図案はお父様が描かれていたのですか?
久呂田:全部ではないですけど…〝も〟ですね。
蓮井:でもその時はほんとの黒子ですよね。
久呂田:あ、父はそれで平気なんですよ。
蓮井:それがまたすごい。普通、自分の名前を出したくなるものじゃないですか?
久呂田:いや出るの嫌いでした。
蓮井:仕事にプライド持って、作品が良かったらそれでいい、と。ほんとの職人さんですね。例えば図案を考える時はどうされていたのですか?
久呂田:年がら年中同じ、昔の絵の本を眺めてましたね。
蓮井:へぇ…、自然を観察することは?
久呂田:ないですねぇ、写生っていうのもない…。昔の人の絵を、なんと言いますか、完成された絵、と捉えてたんじゃないでしょうか。昔のものが良いと。特に安土桃山が好きでした。
蓮井:魯山人もその時代が好きでしたよね。その頃、自然の持つ生命力とか力強さに願いを託して、大胆で自由な文様がたくさん描かれていますが、お父様の作品も、例えば桜の模様なら春の着物、というだけじゃなくて、季節を越えて、芸術の域にまで高められた美しさが感じられますよね。普遍性を備えた美の追求と言いますか。そういうお考えを持っていらしたのでしょうか?
久呂田: まぁとにかくしゃべらない人でしたから…
蓮井:無口だったのですね。
久呂田:黙ぁって、ほとんどしゃべらない(笑)。仕事が趣味で。九十までは仕事してました。卒寿になって初めて、周りに勧められて個展をしたくらいですから。それで九十二で亡くなったんです。
蓮井:天寿を全うされたのですねぇ。
■ 受け継ぐ
蓮井:浦野さんの仕事を実際にしていたのが先代の久呂田さんだと世間ではあまり知られていないわけですが、今の久呂田さんの作品をお客様に見て頂くと、浦野さんの着物みたいですね、と言われることが多いんです。僕はそれが凄いなと。時代を経、作り手が変わってもそう感じられるということは、それだけ確固としたものをお父様が持っていて、それが『浦野理一の着物』として発表されていただけで。そういう、たくさんの人の心を掴んだお父様の作風をね、今の久呂田さんが受け継いでいるからなのですね、それが僕はブランドっていうことかな、と思うわけですが。」
久呂田:いやぁ(笑)、あまりそういうの考えてなくて。
蓮井:真似しようと思ってもできるものじゃないですから。色さしも独特ですよね。
久呂田:昔の色なんじゃないでしょうかね。よくわかりませんけど。自己流っていうんでしょうか。きちんと教わったり聞いたりしたわけじゃないんですよ、ただ親がやってたの、見てただけで…
蓮井:いえいえ、親子相通ずる、寡黙な日々の仕事の積み重ねがあったのでしょうね。今、職人さんは何人でやってらっしゃるのですか?
久呂田:下絵と、糊つけが二人、友禅さしが二人、ですね。
蓮井:じゃあ五人で?
久呂田:ええ。平均年齢も私より上で、いつまでやってけるか心配(笑)
蓮井:若い人ではなかなかいませんか。
久呂田:結局続きません。うちも若い人を、と思ったんですが、東京の人は一人で全部やるんですね
蓮井:ああ、作家さんという感じで。京都では今も下絵は下絵、糊は糊、という風に分業でやっていますけどね、そういう〝職人〟になれない?
久呂田:職人は嫌なんですよ。
蓮井:アートしたいのですね、自分の個性で。なかなか続かないわけだ…。今のような時代こそ、それぞれの技を極めたレベルの高い集団がまとまってなにか一つのものを作り出す時かもしれませんのにね。
久呂田さんの作品は、秋のたかす展(平成22年9月)でご覧頂けます。お楽しみに! |
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