対談この人と
話そう...
たかす文庫「この人と話そう…」
株式会社 染の百趣 矢野 相談役 矢野 泰義さん |
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聞き手 蓮井将宏(や和らぎたかす店主) |
昭和14年(1939年):広島生まれ
1971年:京都にて操業開始、1985年:法人化 |
矢野さんは今年で七六才。とてもその歳には見えません。 学生時代はバスケットの選手、指導者を経て四十才からはスキーを続けています。 次世代をしっかり育てている事に頭が下がります。今この瞬間を生きる事が一番尊い事と教えて頂きました。 矢野さんらしい「きれい寂び」の世界を見せて下さい。私も自立した日本人を目指します。有難うございました。 店主 蓮井 |
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■モダンでカッコイイ | |
図案こそ一番大切なもの。この時に色もほぼ決まります。 | |
矢野:着物の図案はこういう感じで…、十数年前数えた時で一万八千柄くらいはやってます。
蓮井:データとして残してるんですか?
矢野:いや何もしてません。しないほうがいいと思って。置いとくと同じもんをしたがりますから。基本的には1枚しか作りません。
蓮井:矢野さんのところの好みというのはどんな図案ですか?
矢野:図案は色々あります。でも基本はいかにモダンに、女性を綺麗に見せるか。ですからどれが好きというよりも、図案の良し悪しよりも、どんだけモダンに仕上がるかです。
蓮井:モダンというのはカッコイイってことですよね。
矢野:そうです。女の人は今頃七十言うたかて昔の四十ですからね。みなさんモダンでカッコイイ。
蓮井:その人達に向く着物を作りたい、と。
矢野:そういう人達に負けんように、女の人を綺麗に見せる着物、ですね…。そもそもが、着物って芸術作品でもなんでもないわけで、いかに女性を綺麗に見せるか。それは昔の小袖の時代から何にも変わってない。だから小袖から勉強するのは多いです。
蓮井:香川のある大工の棟梁の言葉ですが、「良い家に住みたいという人は山ほどいる。だからその人たちに向けて良い家を作り続けていけば良いんだ」。矢野さんのところは自社の体制を十年くらいかけて用意してきて、納得のゆく作品を作り続けてきたというのがすごいですね。
矢野:いやいや、食わんが為ですから(笑)でも、そうですね、着物に対する価値観が全く違うと言いますか、金儲けの道具にしてはるところもあります。儲けたものをどう使うか、ということが出来ていない。うちは儲からんかったけども細々と、その代わり従業員や設備に投資をする、ということをやってきました。資料も膨大に持ってます。
蓮井:矢野さんの着物を見て感動することの一つは色使いなんですけど、色のことはどうやって研究したんですか?
矢野:まあ、飲み屋ですかね(笑)綺麗な女の人見て、綺麗やなあって(笑)
蓮井:なるほど(笑)でも洋服見るのも勉強になりますよね。
矢野:なりますねえ。今は昔と比べて綺麗な色になっています。色目は大事ですね。絶えず流行の色は変わりますから。今、頭にあるのはブルーと黄色です。朝ドラのタイトル見てご覧なさい、黄色とブルーをきれいに使こてはります。こないだも「誰それ君、ブルーの地色に菱の柄にしてくれ、菱は黄色やぞ」言うて、いつもそんな感じで、そうしたら彼らがイメージして下図案を描いてきます。
蓮井:矢野さんのところは上手く人が育っておられますね。
矢野:いやいや。でも人を育てると言えば、僕、高校一年の時にバスケット部に入りまして。はじめは県で一番弱かったんですけど、他所の試合研究して一生懸命練習して、後には実業団とやってもほとんど負けんようになってましたね。足を悪くしてから後は審判とコーチ、長いことやりました。高校も勝たしましたし、大学も地方のブロックではいつも優勝してましたね。人を育てるということに関してはその時に覚えました。教えるの好きでしたね。上手には出来ませんでしたけど、「この人はきっとこういう人になれる」というようなことがわかるようになりました。
蓮井:矢野さんご自身は広島出身で、京都に来て何年になるんですか?
矢野:四十五年です。広島で父親の商社を手伝ってたんですけど、辞めて京都に出てきました。
蓮井:大きな賭けでしたね。
矢野:今やったらゾッとします。その代わり、道に落ちたもんも取って食べられるというような生活でした。地方でやってるもんですから、染めもんのことも何も分からんわけです。
蓮井:本当に一からですね。
矢野:それまでは、品物を買うてきて売る商売だったんで、作る商売じゃない。京都ではどこの馬の骨かわからん。銀行もお金貸してもらえない。ですからいつからというのははっきりしていないですけど、一番初めに三反買うて染めたんが始まり。
蓮井:その染屋さんはまだあるんですか。
矢野:ヨレヨレになりながら(笑)こないだ会って、「もう45年になるなあ」と言うたら、「そうなるかねぇ?」(笑)その人がもう八十後半です。ここは糸目だけ。これしか出来ません。でもこれは今出来る人は京都でも東京でも金沢でもいないでしょう。これはすごいです。でも評価されません。わかるのはほんまの知ってる人だけ。この人が死んだらもう出来ません。
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この作品が上記の染屋さんです。
誰も創れない着物です。 |
■夢は「自立した日本」 | |
蓮井:矢野さんの夢ってなんですか?
矢野:ないですね(笑)自分が叶えられる夢というのはもうないですね。ただ国が、どこへも頼らん、自立した日本、日本人にしてほしいです。こういうこと言うとおこがましいですけど、我々は絶えず、日本人らしい日本人でありたい。他国に媚びることはせえへん。ええ格好言えば、外国人に着物を着てもらっても無理やろ、と。そら綺麗には見えますよ。けど着物の向こうにある精神性は、やっぱり日本人が持つべきでしょう。今の時代にそれが失われつつあるのは悲しいですね。単に着物だけじゃなくてこれからの日本の国の有り様というか、まあ、人類の有り様と言うたら言い過ぎかもしれませんけど、慎ましやかに生きるということ、日本人は絶えずそうあるべきでしょう。
蓮井:僕は着物って自立する為に着るものじゃないかと思うんですよ。
矢野:そうかもしれませんね。心の自立、というか。「わたしはこれが着たい」、と。今は着物はいらないものですからね。ただ単に着るもの、というだけなら、もっと手軽に買えるものもある。インクジェットの染めで着物らしいのを着て楽しむというのも良いと思うんですよ。でも本来の着物というものの向こうにあるのは、「日本はこうですよ」という精神性やと思うんですよ。それを伝える一翼になればなと思っています。
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