対談この人と
話そう...
たかす文庫「この人と話そう…」 彦十蒔絵 若宮 隆志さん |
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聞き手 蓮井将宏(や和らぎたかす店主) |
輪島塗はもともと分業制として発展してきた伝統工芸で、器として完成するまでの間の様々な工程を、それぞれの職人たちが担っています。
先細りしてゆく輪島塗の未来を憂い、もう一度甦らせるべく、若宮さんは2004年『彦十蒔絵』を立ち上げました。
自ら塗りや蒔絵の職人であった故の知識と経験を活かし、高度な技術を持つ職人を束ねて自分が思い描く究極の漆器をプロデュースし、創り出す。
若宮さんのそういったものづくりはやがて海外のコレクターの目に留まり、2007年にはその技と美が認められイギリスのヴィクトリア&アルバート美術館に作品が収蔵されるなど、
日本国内に留まらず海外においても高い評価を得ています。 ◆ 使われないもの 蓮井:若宮さんは最初は職人から始めたんですか? 若宮:一番最初は名古屋の専門学校を出た後、漆器店に就職したんですよ。田舎の長男だったもんのですから父親が勝手に就職先決めて。 蓮井:それがたまたま漆器屋さんだったんですか。 若宮:たまたま。で、ま、そこで丁稚奉公みたいなことをやりながら、色んなことやらされるんですけど、良い経験になりましたね。 今もそれが生かされてなんとかやっていけてるみたいなもので。その頃はバブル崩壊手前の、景気が良い時代の終わりくらいで、 とにかく忙しかったんで、そこでは何も構築しないと思ったんですね。それとその時の販売方法にも疑問を持ったんです。 だから、やるんだったら自分で納得いくもの作って、納得いくもの納めたいと思ってそこを4年で辞めるんですけど、 でもまだ技術を何も習得してないもんで、先輩が勤めている会社の蒔絵部ってところに行って 「2年間で覚えますから仕事教えてください、給料いりませんから」って入り込んだんです。 それが24の時で、そこでかなり鍛えられたんですが、そのうち今度は塗りが面白くなって塗りの親方のとこ行くんです。 その前から輪島塗が弱いのはなぜかと疑問を持っていて。でも輪島塗は高額品で、使われないからお客さんからはクレームは来ないんですね。 蓮井:それ、呉服業界とよく似てますよ、着ないからクレームが出ないっていう。 若宮:当時東京なんかで展覧会すると1億円くらい売れてたので、それで地元では輪島塗ってすごく人気があるな、と思ってたわけですよ。 でも、お客さんとこ行くと納めたまま封も切られてないようなのがたくさんあって、だんだん自分の中で矛盾が募ってくわけですね。 それで、普段に使えるものをと思って塗り方なんかを研究してって、いろんな人に話を聞くんだけど誰からも納得がいく答えが得られないんですよ。 なんでかな、と考えた時に、塗ってる人は使ってないからわからないんですよ。で、このままじゃまずいな、と。 蓮井:使われないものを一所懸命高価にして作ってたんですね。 若宮:ええ、昭和52年に輪島塗というものが通産省で指定されて、そこで決められたことをしてれば輪島塗って言えますよっていうのを、唯やってただけなんです。 それ以前は用途に合わせて多様な方法があったはずなんですが、それが決まったらそれさえやれば売れることになったので。 蓮井:結局それが自分の首を絞めることになったんですね。 ◆ 外つ国へ 蓮井:ではそうやって一つ一つ疑問点が解決されていって、「彦十蒔絵」が設立されたんですね。 若宮:それと海外に目を向けたのもポイントです。世界では日本とは全然違うものが売れてたんです。 例えば、ある時美術館で原羊遊斎(はら・ようゆうさい)っていって酒井抱一の下絵を蒔絵にする人の展示会やってて、 最初はわからなくて私はパッとしない蒔絵だな、地味だし、輪島塗のほうが金が光ってて豪華だと思って見てたんですよ。 でもそこは老若男女長蛇の列。うちも近くで展示会してたんですけど、ガラガラ。その違いが何か、最初はわからなかったんですね。 片やちょこっとしか描いてないのに何百万もする、輪島塗は豪華なのに売れない。その違い。 ま、他にもあるでしょうが、まず名前が有名なのは勿論だけど、センスの問題だな、ということがわかったんですね。 輪島塗ってのは田舎で育った職人さんが金蒔絵使って豪華にしているだけ。で、それが売れたんですね、高度成長では。 そこで解決策として美術品を見なきゃだめだとすぐ思ったんですよ。 漆ばっかり見ててもダメで、絵を見たり、いろんなことに関心持って、それから漆の古いのも研究して。 そしたら外国でもそういうのが高く売れているってわけですよ。じゃあ外国で高く取引されてる漆器を作れば、日本でも職人さんみんなやってけるんじゃないかと。 それでそういうのを真似して作ろうとするんですけど、簡単ではないことがわかるんです。 でもそれしか方法がないと思ってるんで、しつこく粘り強く研究するんですね。それで最初にしたのが「青銅塗り」で、それを出したら外国のコレクターの人が見つけてくれて、 外国の美術館に収蔵してくれて、というふうに、外国から先に売れてきたんですね。 ◆ 能登空港 若宮:それまでは大きいもの作ってたんですね。でも能登空港ができるって話を聞いて、東京じゃないとお客さんいないし、飛行機が来るってことは世界の都市が近くなると思ったんですね。 輪島が輪島塗として栄えたのは北前船の寄港地だったからで、そういう時代がもう一回来ると思えたんです、私には。 それでその為には飛行機に乗せられるようなものをと思って、ちっちゃな矢立とか香合を作って東京に持っていって、それから展開が始まったんです。 蓮井:それまで作れと言われて職人さんが作ってたものじゃなく、市場のことを研究して動向を読むとか、そういうことが必要になってきたんですね。 若宮:職人さん自体はわかってないんですよ。輪島は景気が悪くなったのに職人さんはたくさんいる、でも仕事がないっておかしいなと思ったら、作らせる人がいないんですよ。 プロデュースする人、お金を出して、計画をして、展覧会をやる人、先で引っ張ってくれる人がいないってことに気づいて、それなら自分がやるしかないって舵をきってしまったんです。 究極の職人になるというのも一つの目標だったんですけど、自分もそうやって親方に育てられたのであれば、産地に貢献することが自分の仕事だと思ったんですね。 あと、それをしないと自分が思ったものができない、というのも事実で、外国で高値で取引されている漆器は私の技術では絶対できないと思ったんです。 私がもし究極にうまい技術を持った職人であってもこの部分はできるけど、この部分はできないというのがはっきりわかったんですね。 だったらどうしたらいいかといったら、今上手な人に頼んだほうが早いわけで、結局それが昔からやってる分業方法なんですね。 外国では、今の作家と昔の作家と一緒にして買っちゃう。だから我々が昔の人はすごいね、と言ってた時点で負けなんですよ。 昔のものよりどこかが秀でてないとダメなんです。それじゃないと自分には販売チャンスがないし、ものを作り続ける権利がないわけですよ。 蓮井:そのためには和の考え方しかないですね。より良い方向に振り向けて、昔のものにない良さをアピールしていく。 若宮:そうですね、職人さんたちにはスポーツと一緒って言ってます。勝ち負けなんで、一等賞でなければ誰にも買ってもらえないんですよと。 この漆器が良いと言わせる為には、何よりも秀でてなければ。それと、それが成立するためには毎日やってる人じゃないとだめなんです。 間が空くと元に戻るのに1週間かかる。毎日続けてやってる人じゃないと競争には勝てないと思うんですね。 蓮井:ではそういう人たちを集めるんですね。 若宮:そういうことです。作家さんはいらないわけです。線が得意な人にはそればっかり描かせる。 一人の優秀な作家さんがいても及びもつかないことが出来なきゃいけない。それがプロデュースの意味で、その方が早く、安く出来るんです。 そういうふうに職人さんを作っていくわけですね。ですから、ものづくりから職人さん作りに変わっていくわけです。 ◆ これからのこと 蓮井:来年から大学で教えられるということですけど、どういったことを子供たちに伝えたいんですか? 若宮:子供たちの活動も今後は支援していきたいと思っています。 アーティストになりたいという人はいっぱいいるけど、職人さんになりたいという人は少ないんですね。 でも職人さんになりたいというのも選択肢として探っていきたいなと思ってまして、職人さんになれば作家にもなれるんですよ。 作家になります、といえば作家になれるんですけど、職人さんにはなれないんですね。 職人というのは必ず注文主がいて、期間、値段、仕上がり具合この3つを満足させればその対価としてお金を貰って、仕事として成立するわけですね。 もう一回、こういうことができる環境作りができると良いなと思っているんですね。そうすると、子供たちの選択肢が広がると思うんですよ。 作家をやる、先生をする、公募展に出すという選択肢しか今はないんですね。でも途中で挫折してしまうんです。 やっぱりどうやったらご飯が食べれるかということを考えていく必要があるんですね。 なので、展覧会や取引先を選んで仕事をしていくという方向性の中で作家活動をしていくというのも一つの方法だということを知らせていきたいんですね。 ◆ 漆という伝統 若宮:良い漆器が欲しい人はたくさんいるんです。凄いのが欲しいという人も海外までいくと、100万しても200万しても良いものが欲しいという人がたくさんいる。 でも若い人たちにはそれがまだ見えないんですよね。それから、国内でも漆器が良いということが理解できれば使いたいと思う人は潜在的にいるんですね。 でもそれが良いと認識できないので買わないんですよね。費用対効果ということなんで、その効果ということをもっとちゃんとお話しできて、 それが日本の伝統であり文化であるということがちゃんとお客様に伝えられるように、漆が担ってきた役割、日本の伝統や文化の中で1万年以上使われてきたもの、 そういうことも若い人に知らせていきたいと思っています。私が教わった、何百年続いた技術を若い人たちにバトンタッチして、それらをまた伝えていってもらいたい。 その為には若い人たちが自力で生活できるようにならないと不可能ですので、選択肢を与えるという意味では私がやってきたことは一つのモデルケースになるんじゃないかと思うんです。 蒔絵なんて生活の必需品じゃないものなんですが、実用的なものはなんとか売れるんですけど、蒔絵の本質的な素晴らしさとか漆芸の力強さというのは欧米の貴族たちまで魅了したもので、 それを日本は今捨て去ろうとしているのはもったいないと思うんですね。 蓮井:ラスコーの壁画じゃないけど、無地だけの世界じゃなく、何かこう…、描きたいですよね。 若宮:情報をのっけたいですよね。それが極まってきた層が必ずいるんです。 そういう人たちが情報をのっけてって誇示したり、大事な情報を模様にして次の世代に伝えていきたいって欲求が絶対出て来るんですよね。 それが模様として進化していくんですね。それを伝えていかなければ。絵なんていらない、という時代が続いてきてますけど、本当はそうではなく、 一般の人はもしかしていらないかもしれないけど、一部の人にはとても大事な情報なんですね。 蓮井:東儀秀樹さんが、「雅があったからこそ侘び寂びが出来た」と仰っていました。 若宮:工芸の豊かな世界があったからこそ民芸ができたんですね。西洋においても、デコレーション主義っていうのは絶対的なものがあります。 デザインの素晴らしさ、実用の素晴らしさは大事なことですけど、それはやる人がいっぱいいるんですよ。だから私はあえて人がやらないところをやろうとしているんです。 |
vol.75(2017年12月発行)より |
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