今冬、初めて新潟を訪れました。1メートルほどの雪がつもった風景は、
高松に暮らす私には何ともいえずロマンチックで、駅に降り立ったときから
雪とのふれあいを楽しみ、自然の生み出す美しさに心を動かされました。
迎えに来てくれた知人の車で走るとその感動はいっそう強まり、おしゃべりな
私が言葉を失うほどでした。
やがて知人の家につき、ご家族と食事をともにさせていただきました。
その内にお父様がぽつりと「私は紅葉が好きではないのです」とおっしゃいました。
「高松には紅葉がありますか」「ええ。とてもきれいですよ。なぜお父様は紅葉が
お好きではないんですか」「紅葉の後には厳しい冬が待っていますから。それを思うと
紅葉を見ていても、何とも侘しい気持ちになるのです。」
私はその意味深い言葉に驚き、その土地の風土が生む心の動きこそが「文化」なのだ
と感じました。そして同時に表面だけの現象を見てものごとを決めつけたり、言葉を
発したりすることがいかにものごとを歪めるかという恐ろしさを知りました。前号にも
書いたアメリカの差別の中で生きてきた日本人の知人のことを思い出したのでした。
自分達の立場だけでものごとを見たり、判断したり、対応したりしている限り
「相互理解」という、今の時代にもっとも必要とされる人間関係を結ぶことは
できません。そして「相互理解」が無い限り、本当の文化が生み出すものを享受する
ことはできないのです。
新潟に降った真っ白な雪が教えてくれた尊い真理、それが、私が二十世紀の
最後に天からいただいた贈り物となりました。
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