店主の
ひとりごと
「茶席現代考」 | |
500年程前に千利休が完成させた茶の湯の世界が、現代まで残っている事は奇跡かもしれません。 神道・仏教・キリスト教といった世界の宗教の習いを包み込み、茶席は出来上がっています。 茶の伝来は仏教と共に。そして蹲にて手・口を清め道具を清める事は神道の習いであり、 濃茶においての回し飲みはカトリックのミサに似ています。 まさに世界で最初の世界的な芸術だと言っても過言ではないかもしれません。 さて、利休は63歳の時、宗易から利休という号になりました。 「利を追求することを休む」からこの名前を名のる様になった利休は、 利と出世を求むことに必死になっている世の中に、そういうものとは無縁の 静謐で平和な世の中をもたらしたかったのではと思われます。 そんな桃山時代から時が流れること500年、何故利休の茶は今に残ったかに想いを馳せます。 利休の茶は創意工夫の茶であり、真剣勝負の場として成り立った「滾りたる茶」でした。 また、「侘び」は「お詫び」に通じ、相手の為に自分が出来る精一杯の事を指します。 その様な世界を創ったのが利休でした。 写真でご紹介するのは、そんな茶の心を象徴する一つの茶事の風景です。 色々な国からやって来た品々が、茶人により茶の道具に変身して茶事を彩ります。 ここで披露されている「見立て」には、茶の湯の根底にある懐の深さ、「寛容」、 つまり「受け入れて用いる」という精神が垣間見えます。そしてもう一つ大切な事は掌心の感覚です。 それぞれの品の選択は亭主や客の手になじむ掌心感を満足させるものであることが肝要で、 道具としての寸法がしっかりしている事が選択の重要な基準となります。 目で見るだけでなく、体感で味わい楽しむ様な道具建てをし、五感が喜ぶ茶会をつくりあげる。 それこそが茶会をするにあたって亭主が目指すべき心がけです。 こうして亭主によって茶席が練られ、席と道具がぴったり調和する。 その成果が茶事という、ゆったりとした時間の中でお客に披露され、お客はそこにこもった亭主の思いを読み解く。 茶事の真骨頂はこれです。 茶席は懐石から濃茶、薄茶へと、陰陽の場を織り交ぜながら進行していきます。 その様子はまるで茶会という時空を旅する様です。 そう「茶事とは日常の中に自分を取り戻す旅」と言えるかもしれません。 この様な旅の空を遊べる贅沢。それは私達にとって、今いちばん得難いものではないでしょうか。 小間と呼ばれる四畳半までの茶席は、特にエネルギーの詰まった聖なる空間です。 柱となる木材にも物語があり、土壁の中には竹小舞がなされ、茶室全体がしめやかに息をしています。 その様な空間によって人の五感は研ぎ澄まされていきます。そしてある域に達すると、 それまで緊張に満ちた空間だった茶室が心和らぐ空間へと、変化してゆきます。 その瞬間に出会える人は幸せです。 その幸せをたくさんの人に味わっていただきたいと思う気持ちが、 亭主を繰り返し茶事へと駆り立てるのではないかと思います。 来年は平成が去り、年号も変わります。 次の世代に何を伝え遺すかを真剣に考え、実践する時です。 讃岐は涅槃の地に例えられます。涅槃には次の世代を育む意味もあります。 来年が皆様にとり、良き種まきの年でありますよう、心より念じております。 |
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vol.79(2018年12月発行)より |
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